セカンドキャリアは「やり残したこと」をやる

投稿日: カテゴリー: 先輩に学ぶ
先輩事例 0011 森口さん

先輩インタビュー:0011 起業:食とコミュニケーション

森口 美由紀(もりぐち みゆき)さん

北の玉手箱 創業者

 

■ 今は何をしてらっしゃいますか? 現在のお仕事を教えてください。 

退職後に自分の会社を立ち上げて食品に関するプロモーションや販売、それと前職の経験を生かして広報関連のコンサルや支援をしています。

■ 退職前はどんな仕事をされていましたか?

大学を出て最初に就職した日系企業では、新規事業を推進する部署や法務部門に配属されたのですが、その後CI(コーポレートアイデンティティー)やブランディングの仕事に担当が変わり、それがきっかけで転職したPR会社や米国企業でも広報やマーケティングに従事しました。その後も広報・マーケティング分野が長く、20年以上携わってきました。

■ 仕事を辞めたのはいつですか?

会社を辞めたのは2013年、49歳の時でした。50歳になる3か月前です。
会社を辞めて3か月後には、今の会社を設立しました。

■ 安定した収入を捨てた理由は?

一言で言うと、「やることはやった、やりつくした。もういいや」と思ったからですね。
逆に、自分のやり残したことが他にある、今までできなかったことをやりたいと強く思ったからです。

最初の企業で法務の仕事からCIの仕事に変わったのは自分の意志とは全く関係なく、会社の都合でした。本当はもっと法務の仕事をやりたかった。この経験から、自分の意に反して会社の都合に合わせていると、そのうち自分がゼネラリストと言う名の、何もできない人間になってしまうのではないか、それが怖いとずっと思っていました。

その後転職をして、自分が目指すキャリアを20年にわたって追い続けて、いろいろなチャレンジや経験を積むことができました。一方で犠牲にするものも多かった。キャリアやポジション、年収を追い求めることはさんざんやってきたからもういい、今までできなかったことで、今自分のしたいことをしようと思ったからですね。

■ なぜ、今の道を選んだのでしょうか?

やり残したことをやりたい、今までできなかったことをやりたいと思って始めました。

実は、会社を辞めた直接のきっかけは、東日本大震災でした。

それまでの私の生活はめちゃくちゃで、仕事の忙しい日は3食コンビニなんてこともしょっちゅうありました。そこそこいいお給料をもらっていたのでお金はある。たまにいく高級なレストランでメニューの金額を確認しなくても好きなものを注文することができました。でも、日々の食生活はとても貧しい。そんな時あの震災が起き、あのときスーパーから食材が消えて、お金があっても不自由な生活を強いられました。

塩竈港の写真

ところが震災後に訪れた東北で、街中の小さな食堂で出された素朴な料理がとても美味しく、不自由な中に豊かさを感じました。東北の食の素晴らしさに感激しました。苦労していても本当の豊かさを享受していると。

私は縄文時代、縄文文化が好きなのですが、本来人間は、余分なものがなくても生きていけるのに都会の生活は複雑になり過ぎている。もっと原始的な、本来の人間としての力を取り戻したいと思ったのです。そして、仕事として「食」に関わり、東北の「食」を都会で働く人々に紹介したい、「東北と都会を食でつなぐ仕事」をしたいと思ったのが、この道を選んだ理由です。昔の私のように貧しい食生活をしている働く人達が、手をかけずに東北の美味しい食が味わえるようにと。

■ セカンドキャリアの準備を始めたのはいつ頃ですか? 考え始めたのはいつ? 

準備ということではありませんが、40歳ぐらいから今の仕事は50歳で辞めようと思っていました。あまりにもハードで50歳ぐらいまでしかできないだろうと思っていたからです。

■ これまでに試行錯誤や苦労した時はありましたか?

始めてみて飲食流通で稼ぐのは大変だとつくづく思いました。最初、東北の「食」を通販で販売することからスタートしましたが、食べ物はデフレで価格設定がとても厳しい。通販事業だと運送費や配送料がかかりますが、ユーザーには高すぎると言われて成り立たせるのは大変でした。在庫保存のための設備の固定費や場所代もかかります。一方で生産者に負担を強いたくない。周りが働く女性たちなので多少高くても購入してくれますが、それでも難しい。大資本が必要なんだろうと思いますが、そこまではやれない。できる範囲でやっていこうと、今は通販事業はやっていません。

 

■ 今、抱えている問題などあれば教えてください

特にありません。「食」には強い興味がありますが、お金を稼ぐ「仕事」としては、「食」にこだわってはいません。今は広報の仕事がメインになっています。

月1回開催している「カレーの会」など「食」に関わる活動はしていますが、これはお金を稼ぐ仕事ではありません。でも、活動は続けて行きたいです。今後、どう発展していくかわかりませんしね。

■ 今の生活に満足していますか?

やりたいことをやっているという実感がすごくあり、毎日楽しく過ごしています。前職時代と比べて、ちょっと違う人生を生きているという気がします。確かに年収は激減しました。半分なんてものじゃないです。でも、まったく後悔はしていません。生活そのものが全く違うので。でも、楽しく生きています。価値観が違うので今の暮らしを肯定的に受け止めています。

■ 後輩にアドバイスするとしたら?

人それぞれだからアドバイスになるかわかりませんが、自分がやりたいことを貫いていくのがいいと思います。キャリアを目指すという人はそれを貫いていけばいい。何歳だからこうでなければということでなく、その時その時で自分のやりたいことをクリアにしていく。周りに振り回されないのが幸せな生き方だと思います。

■ 今後の展望についてお聞かせください。

先のことはわかりませんが、興味があることがいろいろあります。スパイスや発酵食品、それからイタリアの食文化にも興味があって、今、勉強しています。興味に任せて楽しんでいるというところでしょうか。

友人の会社で広報の仕事もお手伝いしていますが、まったく知らないところで働くのではなく、「この人の役にたちたい」という気持ちを持てる場所で働きたいと思っています。

■ 最後に、働くということは貴女にとってどういう意味を持っていますか?なぜ、働いているのでしょうか?

もともと50歳で会社を辞めようと思っていましたが、働くことは70歳ぐらいまでは、と思っていました。でもそれは会社員としてではなく、自分として働き続けたい。

お金を稼ぐ、稼がないにかかわらず、人間って労働して生きていくものだと思っています。

数年前、山形・鶴岡の博物館で、最上川を中心とする生活・文化の展示を見ました。最上川沿岸は山深く、その木で船を作ったり「くりぬきもの」という大きな器や臼を作り、それで漁をしたり粉を挽いたりして食料を得てきた歴史の話が展示されていました。労働と食べ物を得ることが直接的に合致している、そういう時代が確かにありました。

人間って本来そういうものだと思います。生きていくために働くのはあたりまえのこと。

保存食や味噌を作るとか、最近ひとりの人間としてできることが増えています。以前はできなかったことができるようになって、喜びです。働く、学ぶ、獲得するは同義語だと思っています。日々そんな思いで過ごしています。

北の玉手箱のWebサイトはこちら
http://kitano-tamatebako.jp/

 

■ 編集後記

はじけるような笑顔が印象的な森口さん。始めてお会いした時は外資のバリバリの広報ウーマンで、キャリア街道まっしぐらという印象でした。その後、会社を辞められ、東北の食の通販事業を始められたとお聞きして、いつかお話しを伺いたいと思ってきました。今回、あらためてお話をお聞きする機会を得、あいかわらずの笑顔とともに、「やり残したことをやっている」というお言葉が自然体で、その時々の状況に抗わずに人生そのものを楽しんでいらっしゃる姿と重なり、これもまたセカンドキャリアのひとつのかたちだなと思わせていただきました。(2019年2月3日)